オリエンタル鍍金の過去をサカノボル Vol.6

2015.06.25 木曜日

昭和 Agめっき

昭和30年半ばから40年にかけて行われていた表面処理

・工業用硬質クロムめっき/・防錆めっき/・着色処理/・浸炭防止処理/・窒化防止処理/・アルマイト処理/・研磨加工/・めっき剥離

など、防錆・装飾・工業用などが主な仕事であった。

 

オリエンタル鍍金の転換期

昭和53年(1978年)には電子・半導体部品を扱う表面処理専門工場(100%)として、転換を図り、従来の御客様(防錆、装飾、工業用クロムめっきなど)からの依頼に対しては、外注政策を進めていた。

研磨作業については、社内に研磨職場が存在していた以外に 外注先へ依頼していた。しかし、当社が装飾めっき、防錆めっき、工業用硬質クロムめっき関係から撤退するとなると、仕事、生活面においての窮極の判断に迫られ、先ず、装飾めっきにおいて外注先へ最小限の設備を貸与し、協力工場としてスタートを切って頂き対応できた。(後に工業用クロムめっきも対応頂いた。)

防錆めっきについてはすべて外注依頼していた。

アルマイト職場

クロムメッキ余談であるが、当時の外注依頼先の、あるメーカーでめっき液の管理についてお伺いすると、陽極板は亜鉛(Zn)を使用し、浴液管理については指先にめっき液を付け、舌で味?を診るだけで判断出来、冬は苛性ソーダ(NaOH1本やり、夏は青化ソーダ(NaCN1本やりの補給で十分管理出来るという話を外注先の社長様より直々に聞いたのは驚きであった。定量分析をしていた当時の私達には信じ難いし、毒を舐める想像外の手法は危険極まりない事。それ迄に噂話として聞かされていたが現実の出来事だった。

 

トランジスターピン装置昭和40年半ば頃には、半導体関係のプラナ型トランジスターのリードピンをワイヤーからプレス加工する技術を採り入れる為、扶桑工業所(西出町)に依頼し検討を重ね実用化出来た。その後、数量が増加の一途をたどり続けた為、扶桑工業所内部では増産対応が難しく、当社内にて生産加工(昭和502月頃から)する為、場所と設備を貸与し対応して頂いた。(※上図、プラナ型トランジスターのめっき装置)

ヘッドピンマシンは合計23台(最大)となり、終息する昭和55年迄、リードピンプレス加工を、本社工場新館西建屋2階で行っていた。扶桑工業所はリードピンプレス加工の終息後、引き続きめっき職場を受け持ち担当して頂き、現在に至っている。(※2015年現在は、扶桑工業所は社長様ご高齢の為、解散し、1名扶桑工業所出身の方に当社社員として勤めて頂いております。)