オリエンタル鍍金の過去をサカノボル Vol.4

2014.12.09 火曜日

万博

(続)従業員仲間との触れ合い(休日又は時間外を利用)

登山については、春夏秋冬問わず、10数人程度の仲間が六甲山系を中心に、ユニホームを揃えて、胸ポケットには「OEP」と刺繍し、休日を利用して殆どのコースをクリアー。特に冬になると山頂には胸・腰までの積雪があり、道の無い新雪を踏み足跡をつけて登山するのも、特に積雪した環境と寒い中での飯盒炊爨で暖を取りながら食事するのも、楽しみの一つであった。

釣り好きな有志達(数人)は、海や池で魚釣りを楽しみ、海については磯辺で、渡船で借船(船頭付き)近郊や淡路島、たまには遠出し宿泊して早朝より釣りを楽しんでいた。

社内ボーリング大会も数回実施され、原則全員参加で会社負担、景品付きで催され、皆それぞれ自分の腕に自身と自慢を込めて競い合ったものだ。其の他として、働く人全員が会員となり友の会が運営されている。

運営内容としては、冠婚葬祭、出産、退職、についての慶弔見舞など、其の他として大阪万博見学、大阪花博鶴見緑地見学、日帰りバス旅行、食事会(神戸飯店)などがある。

昭和タクシー

会社の行事

慰安旅行:全額会社負担で、従業員の慰労を兼ねての催しが年一回あり、当初は一泊二日から二泊三日へと変わり、時代背景と共に形を変え、従業員一人あたり3万円が支給(年一回)され、グループ又はファミリー毎の旅行が許可されていたが、未成年者については必ずグループの先輩、又は保護者同行のもとでないと許可はおりなかった。

慰安旅行の思い出として、昭和44年頃会社の慰安旅行において、鳥取方面の皆生温泉旅行を日本旅行社(JTB)へ予約し、JR(旧国鉄)神戸駅へ早朝集合する事になっていたが、定刻になっても向かえのバスが来ず結局手配ミスであることが判った。先代社長は早速JTBと交渉し、年一度の楽しみを没にする事は出来ないと、実現する為にタクシーへ分乗し皆生温泉まで行く事で交渉成立。自動車1台に4~5名の乗車で皆生温泉へと向かった。当時は従業員が130名程いたのでタクシーを約30台手配したことになる。

30台に分乗したタクシーは地方に進むに従い、田畑で仕事をしている方々は皆と行ってよい程、タクシーの隊列を不思議そうに眺められていた姿は違和感を覚えられていた様な気がする。多少到着時間にはズレがあったものの、手配された全車は目的地のホテルに無事到着した。先代社長の計らいで、運転手さんの労いの為、入浴と食事付きで神戸へ帰された。(運転手さん達も全員が喜んでおられたことは、当時の記念になる歴史の一ページと考える)

田んぼ

忘年会:全額会社負担で慰安旅行同様に年一回実施されていたが、同時期に完全撤廃となった。利用していた主な場所として、三宮の金龍閣、第一楼、神仙閣、東明閣、兵庫駅近くの象ヶ船、新長田の神戸飯店など。

 

注)写真はイメージです。