職場の人達の休み(休憩)時間の過ごし方の様子
本社工場前の道路は、現在の様にアスファルト舗装でなく(中央分離帯もない)、私道であり、人・自動車の往来も殆どなく,キャッチボールや軟球(ソフトテニス用)で三角ベース野球などを楽しんだものです。
後に人・自動車の往来も除々に増え、本社工場前道路を挟んで、南へ約100mの角地東側に台湾精糖のグランド(現:ミヨシ油脂)があり、ソフトボールや軟式野球を、又角地西側にはガデリウス商会の会社(現:中央食肉中央卸市場)があり、グランドを保有していたので、ソフトボールで対抗試合をし、晴天の日には毎日の様に楽しんだ時代でもある。又、将棋や碁を楽しんでいた方も居られた。
従業員仲間との触れ合い(休日又は時間外を利用)
ソフトボール、野球、登山、サイクリング、釣り、社内ボーリング大会など、それぞれ各人が企画し、ソフトボール大会については、有志者(女性も2名/チームに加わる)が集い、試合を競ったし、企業の関係する組合関係会社のソフトボール大会については、先発メンバーが参加した(規則として、女性1名/チームに加わる)。
この頃、野球については特に部としての存在は無かったが、野球の好きなもの同士が集まり、リーグに加盟し楽しんだ(グランドは空き地で現在のヴィッセル神戸のサッカー競技場)。その後、会社負担でユニュホームを新作して頂き、胸にはORIENTALと表示、野球部員からは500円/月微収し、バット・ボール、等の道具を揃え、リーグ(大野社)に加盟、三菱重工下請組合の野球大会や神戸市民野球大会(Cクラス)のトーナメントに参加し、Cクラスに於いては約百数十チームの競い合いのなか、準決勝迄進んだ実績が一度ある。この時は正式の神戸市民球場で戦い負けたものの、チームの全員が感激のグランドとして思い出に残った様である(プロ野球も一時使用していた時期もある)。後に、たまには食事なども加えることで、会費は1000円/月で運営した。昭和45年~平成5年頃までの23年間存在したが、仕事などの変則体制に伴い、廃部せざるを得なくなった。