工業用硬質クロム鍍金の生産は昭和14年(1939年)から始められていた様です。
昭和42年(1967年)神戸市長田区駒栄町1丁目の地に工業用硬質クロムめっき専門工場を建設(第二工場)、大きな品物も扱える様に、造船、建設機械、紡績機械、鉄道車両、産業機械関係の生産を開始する。
当時(昭和36~40年頃)職場の先輩達は、発生するミストガスにより鼻に孔があいてこそ一人前の仕事が出来る男になると云う指導を受けたそうです。
その様な事は後に解った事であるが、鼻中隔穿孔と云って強い毒性を持つ6価クロム(Cr+6)が問題である事が重要視されると同時に、作業環境への問題が浮き彫りになり、現在は問題の少ない3価クロム(Cr+3)を使って、工業化されている模様。 ※写真は現本社工場1階
一部の高級車(クラウン等)に於いては、新車(純正部品)にも関わらず、お客様はバンパーを取り外して、もっと美観的要素のあるめっきの手直し依頼があり、トヨタの営業所(神戸市長田区)から再生(事故など)品なども含め受注していた。
その後、オリエンタル鍍金は半導体製品へのめっき加工へと移行していきます。
神戸工業(現:DENSO TEN)より、昭和34~36年頃ゲルマニウムのトランジスターのキャップ(素材:※洋白)に錫(Sn)めっきを施す事の依頼があった。
当時、電子半導体に携わる担当者を選任するとの伝達があり、「立候補する人が居ればそれで良し!」との事であったが誰一人立候補者はいなかった。
そこで抽選を行って決定する事となり、担当として番号を引きあてたのは前述(過去ブログより)の十川氏であった。※昭和37年頃
当時の温度管理としては、冷却槽は設置されていたとはいえ、冷却槽の中に水を張り、氷を購入[数貫で小刻みに分割し、直ぐ近くの氷屋さん(長田区東尻池8丁目)から重荷用自転車で都度持ってきていた]水を冷やして、熱交換機を通じめっき液を冷却させていた。
昭和40年頃のめっき装置はビーカーワークの延長のようなものですね。
つづく…(p37)